「あなたもせいぜい女の恨みは買わないことね」
吐き捨てるような華恩の言葉に、瞳を閉じる。
「俺はそんな恨みは買わないよ」
そうさ。だって、先生がそんな醜い恨みを心に抱くなんて事、あるワケないから。
意味ありげに口元を緩める不敵な幼馴染をチロリと睨み、華恩は口を尖らせる。
「それにしても、よくこんな写真が撮れたものね」
陽翔の手元を指差し
「こういう展開になるってわかってたワケではなかったんでしょう? なのにあっさりと大迫美鶴にキスしちゃうだなんて、あなたやっぱり変態ね」
「わかっていたさ」
薄っすらと瞳を開き、おもしろそうに笑う。
「俺が去った後に山脇瑠駆真がどんな行動をとるかなんて、こっちにはわかっていた」
そう、わかっていた。こちらが挑発してやれば、山脇瑠駆真は必ず乗ってくる。陽翔が美鶴の唇を奪えば、奴は嫉妬と激昂で自分が抑えられなくなるはずだ。そんな事はわかっていた。
チョロイな。
唇を舐める。
大迫美鶴の唇は柔らかかった。初子先生の時とは違った。
陽翔は再び瞳を閉じる。瞼の裏に、透き通るような白い景色が浮かぶ。シンッとした、何の音もしない世界。音も無く、そして冷たい。
俺は山脇瑠駆真とは違う。初子先生をどうにかしたいだなんて、心や身体を奪いたいだなんて思ってもいない。
先生に好きな人がいるかどうかなんて、結婚しているかどうかなんて、子供がいるかどうかなんて、そんな事はどうでもいい。ただ俺は、先生が好きだった。愛していた。
愛しているんだ。
陽翔の口元に笑みが浮かぶ。だがそれは、今までのような嘲りを含んだ笑みとは違う。暖かく、柔らかく、まるで春の陽だまりのような、何かを慈しむような微笑。
「何笑ってるのよ?」
「いや、別に」
瞳を見開き、首を捻る。
「雪は止んだか?」
「みたいね。この辺りで積もるほどなんて降らないわよ」
「でも今年は寒いらしいからな」
「そうなの? 嫌ねぇ」
眉を顰めながら華恩は両手で肩を抱く。
華恩の自室。紅茶葉がズラッと並んだ棚を背に、部屋の主はゆったりと椅子に背を預けている。少し斜めに向い合うような陽翔のソファーは革張り。
空調のしっかり管理された部屋では、外の寒さを肌で感じる事はない。
そんな心地よい部屋の中央で、陽翔は鷹揚に天井を仰いだ。そうしてゆっくりと呼吸する。
「さて、俺はそろそろ行くよ」
言って立ち上がる。
「お前はどうせ学校へは行かないんだろう?」
「行くワケないでしょう。明日からカナダへ行くんだもの。準備で忙しいのよ」
「ふーん」
片眉をあげる。
寒いのが嫌なのに、なんでまたそんなトコロへ?
だが、問いかければ逆ギレされるだけだ。陽翔は口喧嘩をしにここへ来たワケではない。無駄な争いを招くほど馬鹿ではない。
「もったいない。今日はこの話題で大騒動だろうにな」
携帯を持ち上げる姿を恨めしそうに見上げ、華恩は両肘をテーブルに乗せ、両手で頬杖をついた。
「山脇瑠駆真と大迫美鶴がどれほど大慌てしているか、報告してね」
「自分で見に行けばいいだろう?」
「嫌よ、面倒臭い」
「二人の狼狽っぷりを見るのが、そもそもの目的なんじゃないのか?」
「そうよ。できるなら二人共に土下座くらいさせてやりたいわ」
山脇瑠駆真と大迫美鶴は、何を華恩に謝らなければならないのだろう? そもそも華恩は、本当に山脇の事が好きだったのだろうか? 彼が他の女とキスしている写真を見て、腹は立てずに喜んでいる。
「あっさりと大迫美鶴にキスしちゃうだなんて、あなたやっぱり変態ね」
お前も、同じようなものではないのか?
そんな疑問を喉の奥へ押し込め、代わりにククッと笑い声をあげる。
「伝えておくよ」
そう言って、陽翔は幼馴染に背を向けた。
「写真を撮ったのが俺だって事、少なくとも山脇と大迫にはわかってるんだろうからね」
どんな形相で二人が詰め寄ってくるのか、その様子を想像すると、陽翔は本当に楽しくなった。
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